成果報告 6-4

気候変動による樫原湿原の生態系への影響調査

対象地域 九州・沖縄地域
調査種別 率先調査
分野 自然生態系
備考 九州・沖縄地域の気候変動影響に関する調査(平成30年度開始調査)
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※調査結果を活用される際には、各調査の「成果活用のチェックリスト」を必ず事前にご確認ください。

概要

「平成31年度地域適応コンソーシアム九州・沖縄地域事業委託業務報告書」より抜粋

背景・目的

佐賀県の樫原湿原(図 5.1-1)は、日本で珍しい低層湧水湿原であり、多様な動植物が生息・生育している。一方で、近年の気候変動に伴う土砂・栄養塩類の供給量の増加、地下水位及び湿地内の水位変化により植生の変化及び生物の生息・生育環境への影響が懸念されている。

本調査は、現況の把握のための現地調査、分析、影響評価を行い、気候変動における湿原環境への影響を予測し、適応策を検討することを目的とした。

調査実施場所
図 5.1-1 調査実施場所

実施体制

本調査の実施者 一般財団法人 九州環境管理協会
アドバイザー 国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所 中尾勝洋
実施体制
図 5.1-2 実施体制

実施スケジュール(実績)

平成30年度は既存資料調査と現地調査による地下水位及び水位観測・生物調査・気象調査を行った。平成31年度は引き続き行った現地調査結果により水域変化モデルを構築し、気候変動による湿地環境の影響予測・評価、適応策の検討を行った。

実施スケジュール
図 5.1-3 実施スケジュール

気候シナリオ基本情報

表 5.1-1 気候シナリオの基本情報
項目 影響指標(生息・生育分布)
気候シナリオ名 NIES統計DSデータ
気候モデル MRI-CGCM3、MIROC5
気候パラメータ 気温、風速、降水量、全天日射量、相対湿度
排出シナリオ RCP2.6、RCP8.5
予測期間 21世紀中頃・21世紀末
バイアス補正の有無 無し

気候変動影響予測結果の概要

現地調査及び既存資料調査の結果

現地調査及び既存資料調査の結果、下記のことが分かった。

樫原湿原は、薪炭林としての管理・利用、稲作農業としての利用などにより、継続的な人為的管理が行われてきたこと等によって、自然遷移が抑制され、自然の力と人々の自然への関与とがうまく釣り合って、安定的な二次的自然環境が成立・継続してきたと考えられる。しかしながら、人為的関わり方等の変化にともない、自然遷移の進行やヨシ、マコモなどの特定植物の繁茂、植物遺体の堆積や周辺地域からの土砂の流入等による乾性化現象が進行し、環境の悪化が見られるようになった。このため、平成16年度に良好な湿地環境を再生するための自然再生事業により、再び人為的管理が行われ、現在の湿原環境が維持されるようになった。一方で、樫原湿原にはこのような人為的管理を受けなくとも、古くから湿生草本植物が生育し、湿原環境が保たれている部分があり、それが今回の調査対象範囲である。

この範囲は、樫原湿原の中でも標高差がほとんどない平地部分にあり、地下水が地表近くを流れるため、湿原内の地表は常に湿潤な状態が保たれる場所となっている。一方で、降雨、地下水位が1.0m以下になると湿原が乾燥し始める。湿原を満たす地下水の水質は、窒素やリンなどの栄養塩類の値は低く、常に貧栄養な状態が保たれるため、湿原内の水質は常に貧栄養が維持される。このように生物の生育・生息環境としては貧弱な環境と貧栄養で湿潤な環境が保たれる湿原であることから、他では見られないシロイヌノヒゲ、コイヌノハナヒゲが優占する低茎湿生草本群落が広範囲に成立し、全国的にも生息地が限られるハッチョウトンボやベニイトトンボが多数生息する場所となり、特殊な生態系が形成されている。

影響予測の結果

いずれの気候モデル・排出シナリオ・予測期間においても、地下水位は現在と将来とで大きな差違はなく、影響は小さいと予測された。また、実測調査結果より、降雨量による水質流入濃度に大きな差違はなく、いずれのケースも降水量には現在と将来とで大きな差違はないことから、土砂・栄養塩類の供給量も大きな差違はなく、影響は小さいと予測された(図 5.1-4~図 5.1-13)。

地下水位の予測結果(MRI-CGCM3、左図:RCP2.6、右図:RCP8.5)
図 5.1-4 地下水位の予測結果(MRI-CGCM3、左図:RCP2.6、右図:RCP8.5)
地下水位の予測結果(MIROC5、左図:RCP2.6、右図:RCP8.5)
図 5.1-5 地下水位の予測結果(MIROC5、左図:RCP2.6、右図:RCP8.5)
SSの予測結果(MRI-CGCM3、左図:RCP2.6、右図:RCP8.5)
図 5.1-6 SSの予測結果(MRI-CGCM3、左図:RCP2.6、右図:RCP8.5)
SSの予測結果(MIROC5、左図:RCP2.6、右図:RCP8.5)
図 5.1-7 SSの予測結果(MIROC5、左図:RCP2.6、右図:RCP8.5)
T-Nの予測結果(MRI-CGCM3、左図:RCP2.6、右図:RCP8.5)
図 5.1-8 T-Nの予測結果(MRI-CGCM3、左図:RCP2.6、右図:RCP8.5)
T-Nの予測結果(MIROC5、左図:RCP2.6、右図:RCP8.5)
図 5.1-9 T-Nの予測結果(MIROC5、左図:RCP2.6、右図:RCP8.5)
T-Pの予測結果(MRI-CGCM3、左図:RCP2.6、右図:RCP8.5)
図 5.1-10 T-Pの予測結果(MRI-CGCM3、左図:RCP2.6、右図:RCP8.5)
T-Pの予測結果(MIROC5、左図:RCP2.6、右図:RCP8.5)
図 5.1-11 T-Pの予測結果(MIROC5、左図:RCP2.6、右図:RCP8.5)
CODの予測結果(MRI-CGCM3、左図:RCP2.6、右図:RCP8.5)
図 5.1-12 CODの予測結果(MRI-CGCM3、左図:RCP2.6、右図:RCP8.5)
CODの予測結果(MIROC5、左図:RCP2.6、右図:RCP8.5)
図 5.1-13 CODの予測結果(MIROC5、左図:RCP2.6、右図:RCP8.5)

一方で、将来、地下水位が現在よりも高い状態(1.0m以上)が継続すると、低茎湿生群落の成立条件として重要な"小さな水たまりが点在する"が"大きな水たまり"へと変化し、低茎湿生草本群落の潜在生息域は減少することが想定される。なお、地下水位が1.0mまで上昇すると潜在的生息域は現在と比べて15~20%減少することが予測された(図 5.1-14~図 5.1-15)。

低茎湿生群落を生息基盤とする昆虫類(トンボ類)や希少植物の生息・生育への影響については、将来にわたって生息基盤となる低茎湿生群落への影響が小さいため、昆虫類および希少植物への影響も小さいと推測されるが、一部の種については、将来に地下水位が1.0m以上となる日数が増加すると、生息基盤となる低茎湿生群落の減少により、消失する可能性がある(図 5.1-14~図 5.1-15)。

水域分布の変化に伴う生息基盤(植生)の予測結果
図 5.1-14 水域分布の変化に伴う生息基盤(植生)の予測結果
地下水位の変化に伴う低茎湿生群落の潜在生育域
図 5.1-15 地下水位の変化に伴う低茎湿生群落の潜在生育域

活用上の留意点

本調査の将来予測対象とした事項

本調査では、気候変動に伴う地下水位及び湿地内の水位変化が、植生の変化及び生物の生息・生育環境に与える影響を対象とした。

植生は低茎湿性草本群落、生物は昆虫類(トンボ類)、希少植物を想定し影響予測を実施した。

本調査の将来予測の対象外とした事項

本調査において気候変動影響予測を実施するに当たり、下記の影響は考慮していないことに留意が必要である。

  • 予測対象種への気温影響

その他、成果を活用する上での制限事項

他地域で地下水位を予測する場合は、ボーリング等で不透水層の位置を調べる必要がある。

適応オプション

適応オプションのまとめ
適応オプション 想定される実施主体 評価結果
現状 実現可能性 効果
行政 事業者 個人 普及状況 課題 人的側面 物的側面 コスト面 情報面 効果発現までの時間 期待される効果の程度
水位の手動制御の維持管理 普及が進んでいる
  • 維持管理者の高齢化、維持管理技術の伝承
  • 維持管理のコスト
短期
水位の自動制御の維持管理※1 普及が進んでいない
  • 設置時及び維持管理のコスト
  • 継続的な観測の実施、データ、情報収集にスキルが必要
短期
水源涵養能力の向上※2 普及が進んでいない
  • 水源涵養林の地権者との合意形成
  • 植栽初期の裸地管理(降雨時における表土流出)
長期
モニタリング調査による湿原環境の順応的管理 普及が進んでいない
  • モニタリング調査のコスト
  • 継続的な観測の実施、データ、情報収集にスキルが必要
  • 先に示した適応オプションの適切な実施と併用することが必要
長期
  • 1 出典:https://news.kddi.com/kddi/corporate/newsrelease/2019/02/21/3633.html
       https://www.jnouki.kubota.co.jp/agriinfo/farm/2018/07/wataras.html
  • 2 出典:「広葉樹林地、針葉樹林地および草生地の水文特性の比較」村井宏
適応オプションの考え方と出典
適応オプション 適応オプションの考え方と出典
水位の手動制御の維持管理

普及率については表記なし。
実施事例は多数あり、実測水位の測定結果から堰を管理する事例や、時期によって水位を決めた上で堰を管理する事例などがあり、効果発現までが短期間の事例が多かった。また、直接的に水位管理ができることから効果は高いとした。

≪出典≫
「平成24年度サロベツ自然再生事業水抜き水路堰止め工調査業務報告書」環境省北海道地方環境事務所、平成25年3月
「湿原生態系および生物多様性保全のための湿原環境の管理および評価システムの開発に関する研究」、農林水産省 独立行政法人農業技術研究機構北海道農業研究センター、平成10~14年度
「釧路湿原における地球温暖化に伴う海面上昇にかかる技術資料」国土交通省北海道開発局、平成24年2月

水位の自動制御の維持管理

普及率については表記なし。
現在、水田の水位管理として実験的に実施され、実施事例は少ない。実測水位の測定結果から自動で堰を管理する事例などがあり、効果発現までが短期間の事例が多かった。また、直接的に水位管理ができることから効果は高いとした。

≪出典≫
「岐阜県飛騨市とKDDIが、ICTを活用したスマート農業システムの実証事業を実施し、水田の水管理の自動化」、
https://news.kddi.com/kddi/corporate/newsrelease/2019/02/21/3633.html
「圃場水管理システムWATARAS(ワタラス)」によるスマホでらくらく水管理 水田の水位監視と遠隔操作での給排水で水管理の労力を軽減」、
https://www.jnouki.kubota.co.jp/agriinfo/farm/2018/07/wataras.html

水源涵養能力の向上

普及率については表記なし
実施事例は少なく、水源涵養林を針葉樹から広葉樹への植え替えを試験的に実施した事例はあるが、樹木の生長に時間がかかるため、効果発現までの時間は長期とした。

≪出典≫
「表保険丸山湿原における湧水湿地の保全を目的とした植生管理」福井聡ら、平成23年9月

モニタリング調査による湿原環境の順応的管理

普及率については表記なし。
実施事例は多数あり、水位管理等の保全措置と併用しながら実施する事例などがある。一方で、気候変動への適応に直結するものではなく、直接的な効果が見込めないことから、効果発現には時間がかかるため、長期とした。
事業者としては、地元の保全団体を想定。

≪出典≫
「釧路湿原における地球温暖化に伴う海面上昇にかかる技術資料」国土交通省北海道開発局、平成24年2月
「釧路湿原自然再生事業における順応的管理及び地域連携の検証」渡辺綱男ら、平成27年
「根木内歴史公園を事例とした市民参加による湿地管理システムの構築に関する研究」相澤章仁ら、平成22年

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